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瞑想と情熱

 

暮らしの中のヨガ哲学

新しい年がスタートしました。

先日は都内でも雪が降り、何となく心までもが洗われ、心新たに進んでいこうという気持ちになるこの1月。多くの方が新年の豊富を掲げ、そして夢の実現に向けて新たな一歩を踏み出されたのではないでしょうか。


私こと綿本も、気持ち新たに2008年という年を歩んで行こうと新鮮な空気に包まれている今日この頃ですが、今月はそんな門出の1月ということで、何かに向かって歩んでいくということ、つまり情熱や信念といった積極性と、瞑想が目指す無我の境地との関わりについて、少し掘り下げて見ていくことにしましょう。


瞑想と情熱。


執着を手放し、心を空にして無我の状態に至る究極に受動的な状態。

そして、情熱を持って何かに向かい取り組む積極的、能動的な状態。

今月もまた、一見、正反対と思える二つの状態がテーマとなるわけですが、一体これらの二者は、どう関わり合っているのでしょうか。

瞑想やヨーガに限らず、東洋思想や哲学を勉強していると、しばしば「放棄」「あるがまま」「委ねる」「手放す」「捨てる」といった語がキーワードとして目に留まるようになります。

我を持たず、ただ流れに身を任せ、何も欲さず、そして何もしない。東洋思想が目指すのは究極の堕落なのかと思われるような不可解なイメージ。確かにそんな境地こそを目指さんとする指導者もいないわけではありません。実際、以前見たテレビでは、究極の瞑想状態で過ごしている人といって、ただ眠っているような状態で過ごし続けている人が取り上げられていたのを記憶しています。


瞑想や哲学に対する解釈は、人により指導者により千差万別ですが、私はこのような「我を持たずただ委ねているだけの状態」は、東洋思想が目指す究極の境地ではないという考えを持っています。それどころか、非常に強い信念を持ち、情熱を持ち、生き生きと毎日を過ごしている状態こそが、究極の境地であると思っています。

と、ここで読み終えてしまうと誤解を招く恐れがありますので、どうか読み進めていただけますでしょうか。m(_ _)m


東洋思想における情熱、積極性。


それは本質的には1種類なのですが、あえて分類すると2種類に分類できると思っています。


1つは、その究極の境地に向かって自分を精進させるための情熱。

そしてもう1つは、その境地を経て自分の役割をまっとうしようとする情熱。


前者については、ヨーガスートラの第1章14節でも、次のようにその大切さが明快に説かれています。


『長い間、絶え間なく、大いなる真剣さをもって励むとき、堅固な境地に到達する』


堅固な境地とは、瞑想やヨーガが目指す究極の境地のことで、そこに至るためには、大いなる真剣さでもって絶え間なく取り組むことが大切であると説いているのです。


実のところ、確かに瞑想を深めていく上で「放棄」「あるがまま」という状態は必要になります。この放棄によって “それまで我(エゴ)だったもの” が捨てられることになり、瞑想が最終ステージへとシフトしていくわけであります。

そして、それまで執着していたあらゆるものと決別して”我”を明け渡すには、それなりの信念、というよりは大袈裟ではなく”命がけの覚悟”が必要になります。自分の命を含め、すべてを明け渡すほどの強い気持ち。それがあって始めて瞑想は最終段階にまで深まり、ゴールを迎えます。そのために必要な情熱が、1種類目のそれです。


では、もう1つの情熱とは何でしょうか。

すべてを明け渡すために情熱を使い、明け渡した後に何が残るのでしょうか。

瞑想の深みで、私たちは「空っぽ」という状態を経験します。詳しくは、コラム「心の働きの止滅」などをご覧いただければと思いますが、要約すると「自分を含めたあらゆるものをフラットに捉える視点」をその境地で手にします。

“それまで我(エゴ)だったもの”がなくなり、”自分を含んだ より大きな我(エゴ)”が生まれるとでも言うのでしょうか、平たく言えば「器」が大きくなるという表現でも結構です。大きな自分を手にするために、小さな自分を捨てる。要するに、己の欲望充足にのみ使う情熱ではなく、より大きな望みを満たすための情熱が持てるようになるわけです。


毎度繰り返しますが、綿本はまだ修行中の身ですから、まだまだその境地には程遠く、だからこそ毎日プラクティスに励んでいるわけですが、いずれにしても私は、瞑想を経て手にするものとは、あらゆるものをフラットに捉える視点を持つことで、例えば家族や会社、地域や国といった、より大きな枠組みの中で自分の役割を自覚し、それをまっとうするために情熱をもって歩んでいく姿勢であると思っています。


瞑想という「無我」への取り組みが、実はとても強く正反対のイメージを持つ「情熱」と密接に関わっている。


新しい年の幕開けであるこの季節、いろんな意味で”大きな”夢に向かい、情熱を持って取り組んでいけたらいいですね。


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