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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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自己犠牲というエゴ

 

暮らしの中のヨガ哲学

春一番が日本列島を吹き抜けたとは言え、まだまだ肌寒い日が続いております。皆さまはいかがお過ごしでしょうか。


さて、この一ヶ月、トレーニングやワークショップの募集など、遅まきながら私たちの2008年もようやく始動というムードが漂ってきましたが、そんな中、東京マラソンが行われた2/17、多くの人が走り抜ける中央通りからすぐの綿本ヨーガスタジオでは、あまり知られることなく講師認定試験が行われていました。

今その採点の真っ只中で、ヨーガ的に言えば採点したり不合格を出したりなどは非常にしたくないのですが、とは言え、ある一定の基準を設け、それを満たしている指導者を認定することは、その指導者の受講生にとって大きな安心感を与えるものと信じ、自分に言い聞かせ、そうであって欲しいと願いつつ、極めて厳しい基準で採点を行っております今日この頃の綿本です。


知ったことか!と思われるかも知れませんが、実はその記述試験の中に「自己犠牲」に対する問題がありまして、これについては様々な考え方があって然るべきと思いますが、無性にその自己犠牲についてコメントしたく、勝手ながら筆を進めていくことにします。


自己犠牲はエゴである。


と言い切ってしまいますと大いなる誤解を招きそうですが、表現の悪さはさておき、なぜエゴの対極ともいえるような「自己犠牲」という行為を「エゴ」と言ってしまえるのか。


ヨーガや瞑想などの世界では、欲求を持ったり、自分の利益になることをしたりすることはいけないことで、そういったものは捨てていくべきものというニュアンスのことを説かれる場合がよくあります。そしてその延長線上に、自分を傷つけたとしても周囲を救うような気持ち、つまり自己犠牲の精神を持つべきであると説く人がいます。


自分を犠牲にしてまで相手を救おうとする気持ち。


この「犠牲」という言葉がそもそも不適切なのかも知れませんが、少なくとも「自分は傷ついてもいい」という感覚が少しでも存在するとすれば、それはヨーガを含む東洋思想が目指す境地とは少し離れた感覚なのかな、と思ってしまうところがあります。


「自」と「他」を分け隔てなく感じ、共に大切にすべき存在として捉え、そのためにできることを尽くす。


この「自分」と「他人」を皮膚という境界線で区切らない感覚が、東洋思想が目指す境地とすれば、その感覚からは「自分」を傷つけてもいいという感覚は生じないのではないでしょうか。

例えば、AさんとBさんという二人の登場人物がいたとします。

第三者である私たちは、その二人を同じくらい大切に思い、見守っていたとします。
そしてある時、Aさんにとても困った場面が訪れます。

そこでもし、第三者の私たちが、仮にBさんを動かしてその状況に介入できるとすれば、私たちはどんな指令をBさんに送り出すでしょうか。

繰り返しますが、私たちはAさんもBさんも同じくらい大切に思っているとします。

そんな状況の中で私たちは、Bさんだけが傷つき、苦しみ、負担を負う形でAさんを助けようとするでしょうか。

本当に両者に対する思いの優劣がなく、共に大切であるならば、AさんもBさんも、共にハッピーになれる方法をまず模索するのではないでしょうか。Bさんを傷つけ、場合によっては命を奪ってまでAさんを救おうという発想は、生じにくいのではないでしょうか。


話を戻しますと、東洋思想的な感覚の中では、私たちは「自」と「他」を皮膚という境界線で隔てません。ですから、仮にBさんが「自分」だったとしても、AさんのこともBさんのことも同じくらい大切に思い、共に幸せな状態に導こうとするのではないでしょうか。


そんな意味合いで「自己犠牲」という感覚の中には、「自」と「他」を区別する感覚、もう少し言ってしまうと、「自分」は犠牲にしても、傷ついてもいいという感覚が潜んでいるように思えます。つまり「自分」という感覚=エゴ(我)が残っていればこそ、それを傷つけてもいいという感覚が生まれてしまうのではないでしょうか。

エゴはエゴでも、エゴイズム(利己主義)ではなく、エゴ(自己感覚)が残っていると言うことはできそうです。


とはいえ、逆に自分を少しでも犠牲にしてはいけないと思っているわけではありません。某ハリウッド映画のように、自分の命と引き換えに、地球上の全人類を救える場面なんかではどうでしょう。極端ですが、物凄く分かりやすい例です。自分だけが可愛い人は、恐らく命を投げ出すことはできないでしょう。ただ、もし自分のことと同じくらい、家族や仲間、同じ国、同じ星、そして同じ町内会に住む人達のことを自分と同じくらい大切に感じているとすれば、恐らく自分の命を差し出すという選択肢も出てくるように思います。


こだわっているのは「自」と「他」を区別する感覚があるか否かです。


自と他を分け隔てなく、共に幸せな状態を目指す。


なかなか素敵な感覚ではあっても、実際にはどうしても自だけに偏りがちな比重ですが、それを様々なアプローチで再構築し、自と他を調和させていくのがヨーガであると私は思っています。


言うは易し、行うは難し。。。

さて、私もプラクティス!

共に精進していければと思います!


今月も皆さまが(+私も)Shantiでありますように!


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