本文の開始

綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

綿本彰によるヨガ解説・瞑想解説。メディテーション、マインドフルネス、ヨガ哲学、インド哲学、理論解説、用語解説、無料情報提供ページです。

自然体

 

暮らしの中のヨガ哲学

寒かったり、暑かったり、突然台風が通り過ぎたり、その次の日は快晴だったり。不思議な天気が続いていますが、皆さま体調の方はいかがでしょうか。

私の方は、今週から始まる通学形式トレーニングの最終準備に追われ、ドタバタとしてはいますが、身体も喉もいい調子で調整しています。プチ異常気象とはいえ、今が一年を通して最も過ごしやすい季節かも知れないですね。


さて、今月は早くも本題です。

スタジオでは先週、「楽」の瞑想というテーマで一週間クラスを進めてきたのですが、クラスの前にテーマについて色々とお話する中で、「自然体」というキーワードが登場しまして、これが実はとても深い言葉なので、今月は少し掘り下げてこの「自然体」についてお話できればと思います。


まずは例によって、辞書で「自然体」を引いてみましたら、大辞泉では「剣道などで、両足をわずかに前後または左右に開き、無理のない形で立った姿勢」とあり、念のためですがそちらの自然体ではなく、次の意味の「気負いのない、自然な態度」の方の「自然体」がテーマです。


私たちは「自然体」でいるとき、つまりとても自然で気負いのない状態でいるとき、とても快適で、気持ちが楽になります。逆に「自然体」でいることができない場面では、とても息苦しくて窮屈な感じを覚えます。


では、なぜ「自然体」でいると、私たちは「楽」な気持ちになれるのでしょうか。これを突き詰めると、実はとてもヨーガの深い部分に関わってくることになるのです。


「自然体」でいる。


そのとき私たちは、恐らく裏も表もなく、言いたいことを言ったり、したいことをしたり、感じるままに振舞うことができているはずです。心の振る舞いを「精神エネルギー」という言葉で表現するならば、そのエネルギーが塞き止められることなく、とても自然に流れている状態、気の流れがとてもスムースになっている状態です。


逆に、自然な振る舞い、エネルギーの流れが、何かしらの要因によって抑えられたとき、私たちは「自然体」でいることができなくなります。

その抑えつけるものとは、例えば社会のルールであったり、会社の規則であったり、自分の中のモラルであったり。。。様々なものが考えられますが、その要因が何であれ「したいこと」が抑圧されたとき、私たちは「自然体」でいられなくなり、自然なエネルギーの流れが乱れ、苦痛を感じるようになります。

この抑圧を引き起こす要因のことを、ここでは分かりやすく「すべきこと」と呼ぶことにします。


社会のルールとして、そして自分の中のモラルとして「こうしなくてはならない」と型にはめ込むこと。つまり「したいこと」を封じ込めることで、私たちは自然体でいられなくなるのです。


ではでは、自然体でいるために、快適な状態を作るために、ヨーガでは「何でもしたいようにしなさい」と言っているのでしょうか。どうも単純にそういうわけではないからこそ、このコラムを書きたくなったわけであります。


したいように振る舞い続けていると、そのうち私たちは自然体でいられなくなります。


欲しい物はすぐ買うし時には盗んだりする。でも飽きたりして不要になったらすぐに捨てるし壊したりもする。腹が立てば殴るし蹴るし罵倒する。寝たいときに寝たいだけ寝て、食べたい時に食べたい物を食べたいだけ食べる。でも本人は「したいこと」をしてるので、とても自然体。


確かに”一時的に”自然体でいられるのかも知れないですが、それはそう長くは続かないはず。

物を盗めば捕まって自由を奪われるし、暴力的な人は周囲から孤立して意見を聞き入れてもらえなくなる。長期的に見て、結局は自然体でいられなくなるのです。


では、もっともっと長いスパンで自然体でいるには、どうすればよいのでしょうか。


ヨーガでは「バランス」と「調和」を勧めています。


「したいこと」と「すべきこと」とのバランス、そして調和です。

「したいこと」とは、既に触れましたが、自分の内側にあって、自分の欲求を満たし、快楽や利益を得たいと欲する気持ち。

「すべきこと」とは、その多くは、恐らく自分のためではなく、家族や会社、社会といった、より大きな枠組みの中で要求されていること。たとえそれが自分のためであったとしても、将来の自分のためであったり、頭で「した方がいい」と分かっていること。


この二つをバランスさせるってどういうことでしょうか?


最初は文字通り、両者を程ほどに行うことからスタートすることになるかと思います。

程ほどに「したいこと」を追求しつつ、程ほどに「すべきこと」も行う。

ヨーガでも禁戒、勧戒といって、これはダメ、こうシナサイという戒がありますが、これも「すべきこと」の類。あまり重視しすぎると抑圧されてしまうし、軽視しすぎると長期的に自分を苦しめることになります。


そんな風に二者のバランスを取りながらも、最終的にはこの二者を「調和」させてしまおうとするのがヨーガの真の醍醐味なのです。


ヨーガという言葉は「結びつける」という言葉のサンスクリット語なのですが、思い切り平たく表現すれば、それは「したいこと」と「すべきこと」を結びつけることを意味するのです。


「したいこと」とはエゴのこと。

「すべきこと」とは非エゴのこと。つまり、より大きな枠組みの中で、その一部として期待されていること、成すべきこと。

この二者が調和するとき、私たちのヨーガは完成します。

ヨーガが目指す境地を、小宇宙と大宇宙の結合とか、主と客の合一とか、ややこしい言葉で表現しようと思えばいくらでもできますが、それらは全部、「したいこと」と「すべきこと」を同じものにしていくことと言い換えられるのです。そしてそれができたとき、私たちは刹那的な自然体ではなく、ずっとずっと自然体でいることができ、周囲もそれを支えてくれるというわけです。


周囲が自分に望んでいることを、自らも内側から自然に欲するようになる。


いつかそんな日が来るのを楽しみしつつ、今ある不自然さと向き合いながらヨーガを深めていければいいですね。


Shanthi


ページの終了