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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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目と瞑想

 

暮らしの中のヨガ哲学

今年もスタートしたばかりと思っているうちに早くも夏至が過ぎ、じわりじわりと日照時間が短くなりゆく季節に入りました。夏を前に昼が短くなっていくというのも微妙な感じではありますが、そんな今日この頃を皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

私の方は、5月末からスタートした通学形式トレーニングを進行しながらも、並行してその準備を続けていまして、また秋くらいにリリースを予定している新しい出版物の執筆に追われる毎日を過ごしています。

振り返ると、毎年海外で行っていた修行も昨年はどこへも行けず、今年も秋が終わるまで行けそうにありません。できればトレーニング終了後にでも久しぶりの修行に明け暮れたいなぁと、今この瞬間ではなく未来に意識を向けてしまっている綿本です。


さて、今回はそのトレーニングの中で、それ以外にもなぜか方々から「目」についての質問が重なりましたので、テーマを『目と瞑想』と題して徒然なるままに書き進めていければと思います。


瞑想と目にはどういう関係があるのか。


普段のクラスではよくお話しするのですが、私は「目の状態」はヨーガの全哲学を包括するほど多くの要素が詰め込まれた部位だと思っています。

もっとも、この他にも「背骨の状態」や「息の状態」も同じようにヨーガの全哲学を包括していると思っているのですが、そしてついでに言いますと、この「背骨の状態」を追求していくと「アーサナ」という哲学が生まれ、「息の状態」を追求していくと「プラーナーヤーマ」という哲学が生まれると思っています。


ヨーガが目指す主客調和の哲学、空の哲学がそれらに凝縮されているのです。


アーサナについて言えば、ヨーガスートラに登場する「安定」と「快適」という、わずか2ワードがそれを表しているのですが、それをさらに分解していくと、チャクラという考え方へと行き着きます。


本当に簡単にこれについてまとめると、次のような感じになります。


・第1チャクラ:安定の感覚。重さ、揺るぎなさ、根気強さを培う
・第2チャクラ:活力の感覚。力の源泉。活力、意欲、元気を培う
・第3チャクラ:覚醒の感覚。凛とした感覚、すっきりした感覚を培う
・第4チャクラ:開放の感覚。清々しさ、広がり、気楽な感覚を培う。
・第5チャクラ:解放の感覚。放棄、帰依して受動的な感覚を培う
・第6チャクラ:静寂の感覚。空っぽで、ただ感じている状態を培う


私は近ごろ、いつも6つのチャクラしか紹介しないのですが、それはさておき、上記のような様々な要素がひとつになった状態が瞑想であり、その瞑想の中では、能動的な要素=主と、受動的な要素=客が渾然一体となっています。


ヨーガでは、これらの要素をアーサナ(ポーズ)の中で育み、背骨の調整を通して主と客がひとつになった状態を深めようとします。


さてさて、かなり前置きが長くなってしまいましたが、この背骨の調整とまったく同じように、目もやはりこれらの要素がすべて渾然一体となって調整されたとき、私たちは瞑想の深みへと導かれることになります。


順に見ていきますと、目に対しても、まず求められるのが安定感です。目が据わると言うと聞こえはよくないですが、目線がふわふわと泳ぐことなく一点に結び付けられている状態は、心の安定感を育み、瞑想の基盤となる不動の精神状態を築きます。


そして目の活力。死んだ魚のように淀んで濁った目ではなく、澄み渡って活き活きとした輝きを放ち、内面的な活力や意欲が溢れ出ている状態。


そんな活力に満ちた目は、必ずどこかに焦点が合っています。それが第3の要素、フォーカスです。ピントがぴったりと合って焦点が合い、クリアに対象を見ることができているということは、意識が覚醒していることを意味します。逆に焦点が合わないうつろな目は、意識がクリアではなく、朦朧とまどろんだ状態を表していています。


そして第4の要素は開放、広がりです。狭くて暗い視界ではなく、広がった明るい視界。例えば、義務感で焦点を合わせようとしたとき、私たちの視野は必ず狭まり、視界全体が少し暗い感じになります。ヨーガでも無理に必死にドリスティをしていると、ここを見よう次はここを見ようと義務感によるフォーカスを行い、視野が狭く、視界が暗くなってしまいます。そうではなく、目の前に広がる大草原や大海原を眺めるように視野を広く保ち、その上でその中の一点に確実に焦点が合っている状態。そんな目の状態に近づくことで、心をも開放的な状態へと導くことができるのです。


そして第5の要素は脱力。目がとても受動であるということです。私たちは、とかく目を能動的に働かせ、見よう見ようと頑張って目を緊張させてしまいがちです。広がりや明るさはその緊張を軽減してはくれますが、目を受動的にしないと完全には緊張を解消することができません。目を受動的に保つこと。それは「目で何かを見る」のではなく、「目に何かを映す」という感じのもので、この状態を追求することで、目は理想的な状態へと調整されます。


能動的でありながらも受動的。まさにヨーガが目指す主と客の調和といえる状態が、目という本当に小さな部位の調整で行えるわけです。


だから、瞑想を行う際の目の状態はとても大切で、同様にアーサナを行っている際にもとても重要な要素になるわけです。

そして何よりも、この目のチューニングを、アーサナや瞑想の際に繰り返し練習することで、日常生活で瞑想的な精神状態を育む、とても大きな足がかりとなるわけです。


目の調整を通して瞑想へと近づく。


と書きつつも、パソコンの画面に並ぶ小さな文字を、「目に映す」のではなく「見よう見よう」としている私は、この瞬間にも精進せねばと心に誓うのでありました。


皆さまの目もShantiでありますように!


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