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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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格闘技と瞑想

 

暮らしの中のヨガ哲学

ようやく夏らしい天気が続くようになりましたが、この暑い季節、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。温暖化の影響か、夏らしいを越えて少々過剰な暑さが記録されていますが、どうか熱中症にならないよう、水分の補給を心がけていただければと思っています。

私の方は、相変わらずトレーニングの準備と執筆を二本柱に、とてもシンプルな毎日を過ごしています。

そんなシンプルな日々の中、先日とある取材で元格闘家の須藤元気さんと対談する機会があり、とても有意義なひとときを過ごすことができました。元気さんとお会いするのはこれで二度目だったのですが、いつお会いしても堂々とされていて素敵で、とても楽しくお話しをさせていただくことができました。


今月はそんな元気さんにちなんで「格闘技と瞑想」と題し、一見対極にあるこの二つのテーマの関係について見ていきたいと思います。

といっても、いま思いつきでこの二つを強引に結びつけたわけではありません。私の中でこの二つの題材が結びついたのは今から10年ほど前、かつて人類最強の男と呼ばれたヒクソン・グレイシーをテレビで見かけたときのことでした。


このコラムをお読みの皆さまは、恐らくヒクソンと聞いてもピンと来ない方も多いかと思いますので少々説明を加えますと、ヒクソンは2001年あたりまでは世界で最も強い格闘家と言われていた人物で、日本の柔道から派生したグレイシー柔術をマスターした、400戦無敗の戦歴を誇る世界的な格闘家です。


そんなヒクソンの強さが日本で取り上げられ始めた1997年あたり、彼自身のトレーニングメニューの中でYOGAを取り入れていることが話題になりました。YOGAによって身体を内面から調整し、試合前の精神統一にもいかしているということで、当時低迷していたYogaの悪いイメージを払拭してくれたのを今でも鮮明に覚えています。


Yogaと格闘技。対極とも言える二つのものを融合させている人がいる。。。


そんな彼を知った私は、その後、LAへYoga修行に行くごとに、Yoga修行の合い間にヒクソンの道場を訪れ、ヒクソン自身に稽古をつけてもらうようになりました。

なんだかエッセイ風になってきちゃいましたね。。


すべての瞬間に瞑想的であること。


これが私の人生のテーマなのですが、Yogaをやっているとき、瞑想をしているとき、指導をしてるときは、確かにある程度Yoga的、瞑想的でいることができます。当たり前ですが。。。

ただ、やはりどうしても順風満帆でないとき、スケジュールに追われているとき、攻撃を仕掛けられたとき、Yoga的、瞑想的でいるか、常に平静であるかと聞かれると、Noと即答せざるを得ません。私にとって日常生活のすべての瞬間を瞑想的に生きることはまだまだ課題なのです。

そんな私が、逆風の頂点とも言える格闘技の中で瞑想的であるなど、やはり云十年早い話だったのですが、それができた時、本当に瞑想の価値が最大に高まり、世界から争いが消えるような大きなものを得るんだろうという強い確信を、ヒクソンに首を絞められながら抱くことができました。


争いの中、格闘の中で最も必要とされること。


それは攻撃の技術でも破壊力でもありません。


相手をよく見ること、感じること、そして知ること。


とりわけ柔術はチェスに例えられることがあるほど、相手の動きや攻撃に応じた対処法、動き方、身のこなし方を持っていて、平静を保ち相手の動きを正確に見極め、それに的確に対応することを要求されます。


力と力がぶつかれば、必ず力の強い人が勝つ。

でも、力の弱い人でも、冷静に相手をよく見ていれば、「柔」でもって相手を制することができる。


日常生活もきっと同じことなのでしょう。

攻撃を仕掛けられたり、追い詰められたりしたとき、パニックになったり、反射的に反撃したりするのではなく、冷静にその状況を受け止め、そして相手をよく見て、言い分をよく聞いて、状況を正確に把握する。そのことで無益な衝突が避けられ、結果として共によき結論へと向かっていく。

ただ、そうあるためには、それまでのクセや反射的な反応を乗り越え、平静を保つことが要求される。


実際には難しいかも知れませんが、日常の中でも起こるプチ格闘ともいえる争いも、身体を使って実際に行われる激しい格闘技も本質は同じ。共に相手を見ること、知ることであり、そして共にYogaや瞑想が大いに助けとなるのでしょう。


その後、私はヒクソンに稽古をつけてもらっている際に首を傷め、以降その道から遠ざかっていくことになるのですが、今でも心に残るのは、ヒクソンに直接「あなたにとってのYogaとは?」と聞いたときの答えです。


The way to find myself.


自分自身。。

深い意味では真我という意味でしょうし、試合前においては普段の自分という意味にもなるのでしょう。


Yogaや瞑想は人や場面を選びません。

逆に、どんな人であれ、どんな場面であれ、その瞬間においてYoga的であることを目指します。

争いや衝突が避けられないからこそ、瞑想によってその状態によりよく対処する術を学び、それを深めていく。

一見対極にあるこの二者も、実は意外に近しい関係にあったものだと、あるいは瞑想においては、すべてが近しい関係になってしまうといった方がいいのでしょうか。瞑想というものが、あらゆるものに浸透し、それを助ける力を持っていることに改めて気づく綿本でした。。


もっとも、格闘技観戦は務めて冷静に見ようとすると、つまらなくなってしまうのかと思いますが、これいかに。。。。


今月も皆さんが Shanti でありますように。


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