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ヨーガと努力

 

暮らしの中のヨガ哲学

日ごとに涼しさが増し、冬の気配をすぐ近くに感じる今日この頃。風邪などひかれていませんか?

私の方はといいますと、現在来年のスケジュール組みに追われていまして、ようやくその目鼻立ちが整ってきたところ。今年すべきことも少しずつ減って参りました。

今年もあとひと頑張りと言ったところですが、思わずこの「頑張り」という言葉が気になった私は、今月のテーマを「努力」に絞込み、ヨーガとは無縁にも思える「努力」と「ヨーガ」の関係についてクローズアップしていきたいと思います。以前のコラムとかなりかぶるところがありますが、ご容赦ください。


まずは余談ですが、私はよく、クラスが終了して皆さんとお別れする際に、「お疲れ様でした」と言うことが多いのですが、しばしばこの「疲れ」ってどうなのよ、と思ってしまうことがあります。

クラスが終わって多くの方がスッキリとしている中での「オツカレサマ」。特に疲れているわけでなく、どちらかと言えば疲れが取れてリフレッシュしたてなのに、実に微妙な言葉だなあと思ってしまうわけです。もちろん、言葉が本来持つ意味を離れ、ひとつの挨拶になっているわけですが。。。

ということで、今後も「お疲れ様」は使われていくのでした。。。


余談でした。

それと似ているといえば似てる言葉が「頑張る」です。

例えばヨーガについて質問をされた方が、「じゃあ頑張ってみます!」と締めくくることがしばしばあります。

いまお話ししたことに対して「前向きに取り組んでみます」というニュアンスなのですが、「頑張る」という言葉に、これまたしばしば私は「程ほどに頑張ってくださいね」と付け足します。


せっかく本人がやる気になって「頑張る」と言っているのに、あまり頑張り過ぎないでというのは、どうにも意欲をそぐ言葉にも聞こえますが、それでも、頑張りすぎると傷めてしまう場合も多いので、程ほどにと付け加えてしまうわけです。


実際どうなんでしょうか。

ある程度は頑張らなければヨーガの向上はないわけで、でも頑張りすぎると身体を傷めたり、ヨーガが目指す方向とは反対の方へ向かってしまうこともあるわけで。。。


ヨーガでは一体「努力」をどう捉えているのでしょうか。


多くの方は、ヨーガの中に「努力」という考え方はない、むしろ「努力」から遠ざかることが大切と考えているのではないでしょうか。

何か問題に直面したとき、「努力」で乗り切るのではなく、あるがままを受け入れることで乗り切る。流れに逆らって「頑張る」のではなく、流れに身を任せて「受け流す」ことが大切だと。。。

確かにヨーガでは、あらゆる現象、存在を受け入れることを推奨します。それがヨーガが目指す究極のゴール、境地であると言っても間違いはないと思います。

では、ヨーガの世界において「努力」という要素はゼロなのでしょうか。


その一つの答えは、実はヨーガの源流「ヨーガスートラ」の第1章12節に書いてあります。


「ヨーガの行は二種類あり、それぞれ修習と離欲である」


ヨーガを深めていくには、二種類の行を実践することが大切であり、この前者である修習を指して、続く13節ではこのように補足します。


「修習とは、心の働きを止滅するための”努力”のことである」


キッパリと言い切っていますね(笑)。

もちろん原語はサンスクリットなので、どう訳すかの問題はあるのですが、続く14節からもその言葉のニュアンスを伺い知ることができます。


「修習は、長い間、絶え間なく、大いなる真剣さでもって実践されるとき、ヨーガの基礎が確実なものになる」


ヨーガなど東洋の世界では、どちらかと言えば「離欲」の印象が際立っていることが多くあります。

エゴを捨てる。受け入れる。満足する。。。


ただ、よくよく考えてみると、そもそも私たちはエゴの塊だし、すぐ拒絶するし、満足しないからこそ努力できるわけで、そして努力するからその先に満足があるわけで、そういった満足感を肥やしに生きていけている生き物なのです。


ヨーガが目指している境地が「離欲」だとすると、その対極とも言える私たちが紛れもなく存在しているわけで、その現在位置と目的地とのギャップは途方もなく大きいのです。


凡人である私たちが「まぁいいか」と何もしないでいても到達できない境地をヨーガが目指していて、その境地はひどく言ってしまえば究極に「不自然」な境地と言えるわけです。

そんな、普通にしていても到達できないような「不自然」な所に行くためには、それなりの働きかけ、大いなる真剣さや、繰り返しの努力が必要になってくる、ということなのです。


一見、穏やかに思えるヨーガの世界も、よく見てとると絶え間のない努力の連続であるといえます。


そうか!

ヨーガとは努力なんだ。という誤解もしないでくださいね。

「努力」だけをしておけばよいわけではありません。

先ほど見たように、そのネガティブな側面を引き出さないためにも、スートラでは修習の一方で「離欲」を掲げています。努力の一方で、その対極ともいえる要素とのバランスが大切になってくるのです。


実際、努力だけで突き進んでいくと、アーサナの場合は確実に身体を傷めますし、精神的にもヨーガが目指す境地とは正反対の方向へ突き進んでしまいます。

努力でもって離欲を目指し、離欲でもって努力の仕方を変えていく。


結論はバランス。


何をどう切ってもこのキーワードが潜んでいそうですね。


Be Shanti!


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