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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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ツナグ

 

暮らしの中のヨガ哲学

2009年の幕開け。改めて、新年のご挨拶を申し上げます。

昨年末までYOGA修行のため訪問していた米国では、いよいよ黒人初の大統領が誕生し、まさに新時代の幕開けと言うにふさわしい年。皆様の中でも、この1月から何か新しいことを始めようと決意したり、今までできなかったことをもう一度チャレンジしようと思ったり、暗雲立ち込める不況の中でも、前を向いて目標を立てた方も多いのではないでしょうか。


私はと言いますと、今年こそは、ヨーガが目指すもの、ヨーガ的なものを、その原型をとどめない程にまで噛み砕き、新しい形で世に向けて発信しようと、日々その仕込みを着々と進めております。


そんな中今月のコラムなのですが、昨年末にふと思いついたことを、今年の決意という意味も含め、連ねてみたいと思っています。


繋ぐこと。。。


言わずと知れた「YOGA」という語が意味するところなのですが、一体何と何を繋ぐのか、何を統合するのか。この問いに対して、私はこれまで「皮膚の内側の世界(小宇宙)と皮膚の外側の世界(大宇宙)」「心と身体」「心と集中の対象」「分裂した心」「自分と他人」など、様々な表現を使って説明を行ってきました。


そんな私の「YOGA」という感覚の中に、もう一つ新しい感覚が加わったのが、昨年末、サンタモニカでのんびりしている時のことでした。


そこには、イラク戦争で亡くなった方を偲んで、砂浜に無数の白い十字架が立てられていて、アメリカ兵士の他、犠牲になったイラクの民間人を追悼するスペースが設置されていました。

何が正しかったのか、あの時アメリカはどう判断すべきだったのか。私には、理想論は語れても、例えば9.11で亡くなった遺族の方の気持ちを思うと、理想論だけでは割り切れない、想像を絶する怒りと悲しみの連鎖が渦巻いていて、単純に平和という言葉だけでは片付けきれない、複雑な思いが胸にこみ上げてくるのを感じました。そして同時に、とりわけこの問題に対して、私になんて何をすることもできないという無力感に駆られたのでした。


私にできること。


私は政治家でもアメリカ国民でもない。ヨガ修行の合い間にふらりと立ち寄ったビーチでたまたま現実を垣間見た一人の日本人。


そんな私に一体何ができるんだろうか。。。


日本やヨガ業界という枠を越え、改めて自分の存在意義について考えてみたのですが、結局私には私の分を果たすしかないんだ、などということを考えながら、ビーチを離れストリートの方へ戻り、小高い丘のベンチに座って大きな海を眺めていたのです。


先月のコラム同様、再び自分のちっぽけさを知る瞬間。

自分はこの地球の大きさに比べると、いかに小さな存在なんだろう。ましてや宇宙の大きさに比べると、地球さえも米粒にもならないような小さな存在なのに、こんなちっぽけな私は生きている必要性というか、価値があるんだろうか。

そんなことさえ考えたりもしました。


空間的にもさることながら、時間的に見ても自分という存在は、これまた気が遠くなるような点にもならない存在。2時間映画の1コマにもならないような瞬間の命を通して、私に一体何ができるというんだろうか。


その時にふと脳裏を湧いて出た言葉が「ツナグ」だったのでした。


そっか。
私は。。。繋いでいるんだ。


恐らく私という存在以前には、気の遠くなるような祖先がいて、そして恐らく私以降にもこれまた気の遠くなるような子孫が生まれていくはず。

その気の遠くなるような連鎖の中で、点にもならないような私ではあるものの、確かに繋いでいるんだってことに気づいたのです。

血の繋がりだけが時間的な繋がりを作っているわけではありません。

私が到底思いも及ばぬような先人たちの智慧の結集を私は受け継ぎ、そして確かに私はそれらを受け渡している。偉そうにヨガの本を書いたりしていても、その99%以上は私自身が考えついたものではなく、誰かから受け継いだもの。私はそれをただ私なりに伝えているだけ。時として目の前にいる人に対し、そして時として会ったこともない例えばこの活字を読んでくださっている人に対して。。。

家庭の中で、そして社会の中で、何かしらの役割を果たすということは、それが担っている何かしらを過去から未来へと繋いでいることになるのです。


空間的のみならず、時間的に、情報的に、そして生物学的に、いろんなものを繋いでいる。


私という存在はその繋がりという全体の中での一部であり、ちっぽけすぎるこんな私でも、その「繋ぐ」ことを通して機能し、自分の分を果たすことができる。

恐らく、私が繋がなかったとしても、その他の多くの繋がりが私の必要性を感じさせないほどに機能し、それぞれの分を果たしていくことでしょう。でも、筋肉の一本一本の細い繊維が束になって筋肉になるように、小さな点の集まりが一枚の素晴らしい絵になるように、その一本一本の繊維が、一粒一粒のドットがなければ全体も生まれない。

宇宙の規模からしてみれば、点にもならないようなその分の集まりが、気の遠くなるようなその集まりが全体を作っている。

非常に当たり前の結論ではありましたが、そこに戻ってくることができたひと時でした。


そして2009年の1月。


私は、いま自分が立っている場所を改めて感じ、持っているものを改めて確認した上で、どういう形で繋いでいけば良いか、気持ちを引き締めて、そして楽しみながら取り組んでいければと強く思っています。


私に何ができるかな?


それが地球規模で捉えると、とてつもなくちっぽけなことであったとしても、何かしらの繋がりを経て担えるものがあればそれが私の本望であると。


YOGAという感覚に、ほんの少し新たな感覚が繋がった今日この頃でした。


皆様も、今年はどんな繋がりが生まれるでしょうか。


本年も何卒よろしくお願い申し上げます!


OM Shanti


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