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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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酒と瞑想

 

暮らしの中のヨガ哲学

例年以上に寒暖の起伏の激しい日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

私の方は、先日全国ツアーのオープニングとなります名古屋ワークショップに行ってきまして、受講生の皆さまの集中力にあやかり、素敵な時間を過ごすことができました。

地方WSは準備などが大変ではありますが、本当に企画し甲斐のある、充実した時間を共有できましたこと、この場をお借りしまして、改めて参加者の方々に御礼申し上げます!


さて、話しは早速本題に移りまして今月のテーマなのですが、アカデミー賞を受賞した「おくりびと」にちなんで「死」について見ていこう、とも思ったのですが、すでにメモをまとめてしまっていたということで、その少し前まで話題になっていました「酒」をテーマに、気ままに書き進めてみたいと思います。


酒と瞑想、、、


酒と迷走ならまだしも、酒と「瞑想」? と目を丸くされた方もいらっしゃると思います。

酒は集中力を散漫にしてしまう作用があるため、瞑想には有害なのではと思われる方も多いと思います。結論から言いますと「その通り」です。

瞑想前の飲酒は控え目に、もとい極めてお勧めしないのですが、ただ、実はヨーガのルーツ、瞑想のルーツを紐解いていきますと、実に酒臭いお話しに突き当たることになりますので、そのあたりからお話ししたいと思います。


今から時をさかのぼること3500年。

ヨーガスートラが編纂される1000年以上も前、ヨーガ哲学の基礎を育んだアーリア人という、色白で鼻の高い人たちが、現インドからパキスタンにかけて、広範囲に渡りその一帯を支配していました。

このアーリア人。武力もさることながら宗教的にも非常に発達した民族だったのですが、その彼らの宗教が、ヨーガの育ての親と私が勝手に呼んでいるバラモン教なのです。

このバラモン教、自然崇拝の多神教なのですが、粗く言ってしまうと、お祭りの儀式を通して太陽の神様や大地の神様など、様々な神様にお祈りし、その祈りを通して様々な恩恵を授かろうという色彩の強いものでした。


そのお祭りの儀式=祭祀の際に登場するのが、ソーマ酒と呼ばれるとっても強い酒。
この酒、ソーマ草と呼ばれるつる草の茎を圧搾して得られた汁に、水などを加えて発酵させて作る、幻覚作用を持つと言われる伝説の酒なのです。

そのソーマ酒を、祭官たちがゴクリと飲み干したり、ボッと火に捧げたりしつつ、神々と合一する神秘的な感覚を通して祈りを捧げたといわれています。


そのお祈りの言葉のことを、当時は「ブラフマン」と呼んでいたのですが、そのブラフマンは、神の使いである馬に乗って神の元へ届けられると喩えられていました。

そして、そのブラフマンを載せた荷台と馬を結びつけるという意味で「ヨーガ」という言葉が使われていたのです。

まだ「ヨーガ」という言葉が修行法としての意味を持つ以前のお話しですが、この時代に、特別なものを「ツナグ」という意味合いを持っていたために、後に瞑想を深める行法を差す言葉として使われるようになったことは、確証こそないものの想像に易いことではあります。


いずれにしてもこの儀式、現代風に言えば、酒(というよりはドラッグですよね)によるトランス状態を経て、神々と合一の感覚を得ようとする取り組み。この宗教儀式が、酒と瞑想の最初の出会いだと考えられています。


この構図は時を経て1960年代、かのヒッピームーブメントの中で、インスタント禅という名の下でドラッグが乱用されていた構図に見てとることができるのですが、ドラッグ全般の話になると話が複雑になってしまうので、お酒(という名の薬物)に限定して話を進めましょう。


酒(という名の薬物、、ってくどいですね)の成分であるアルコールには麻酔作用があり、これを飲むことで、まず理性の悩と呼ばれる大脳新皮質の細胞が麻痺していきます。


私たちは普段、この新皮質の働きによって理性を保ち、よからぬ欲望を抑えつけて生きています。ですから、飲酒によって欲望のストッパーといえる抑制機能が麻痺すると、当然心が本来の流れを取り戻し、陽気になったり、大胆になったり、はたまた近くにいる人に対して説教を始めたりなど、本音で動き始めてしまうのです。


ところが、さらに酒が進みますと、理性の悩より内側にある旧皮質や運動神経まで麻痺してしまい、ろれつが回らなくなったり、動けなくなったり、最悪は生命の危機的状態に陥ってしまうのです。


ここで注目したいのは、その旧皮質がやられる直前の状態。つまりすっかりと理性を失って心が底の方から解放された状態が、まさに瞑想が目指す状態であるということなのです。


私たちは普段、誰かと関わって生きている以上、少なからずともストレスを溜め込んで生きています。理性の悩が本音の悩を抑圧し、自然な心の流れ、感情の流れ、気の流れが滞ってしまう宿命の中で日々を過ごしています。これがひどくなると、イライラしやすくなったり、ウツっぽくなったり、やがて様々な心の不調、疾病に発展します。


だから、心が本来の正常な流れを取り戻すため、私たちはそのストッパーを排除する必要に迫られるわけですが、ところが、酒やドラッグに頼ってこれをやってしまうと、後で取り返しのつかないことに発展してしまう場合があるわけで、はたまた酒に依存してしまうと身体にとっても悪い影響が残ることになり、付き合い方次第で自分を滅ぼすことになります。


要するに、内面的な調整が行われていないままに鎖を解き放ってしまうと、後々にもっと自分を抑圧しなければならない結果を招く恐れがあるということです。


だからヨーガでは、内面的な成長を促すのです。


自分のことだけでなく、周囲の人のことをも我が事のごとく親身に気遣えるよう、性根から改革していこうとするのです。

そういうことを経て、その上でストッパーを取り除くことができれば、自然体でいい奴になっているわけで、どんどん自分を解放してさらけ出し、欲望の赴くままに生きれば生きるほどに、それが結果として周囲のためにもなるという構造が出来上がるわけです。

十牛図で言うところの第十の図、マズローの欲求五段階説で言えば自己実現の欲求の赴くままに生きるということになるのです。


といっても、ここまで極端な話しは理想論で雲の上の話。だからこそ、一時的にでもいいので私たちは瞑想の中で聞く耳を持ち、思いやりの心を持ち、その上でストッパーを取りはずし、一時的に自己を解放してハッピーになっていくというわけなのです。

そしてこれを繰り返すことで、少しずつ本当にそこへ近づいていける。 といいなあ。。。


と、ここまで書いておいて何ですが、実はドラッグやお酒などを利用する瞑想もあります。お酒なんかを使い、インスタントな方法で自己を解放する感覚をつかんでおきつつ、内面的な方向付けを導師(グル)と呼ばれる人が担う方法です。

このやり方は、密教(タントラ)と呼ばれ、師弟の強烈な信頼関係があってのみ成り立つもので、また必ずしも酒を使うなんて誤解もされませんように。そういった枠組みの中では、酒などが有効な手段にもなりうるという意味でご紹介しただけですので。


いずれにしても、酒が持つ効果や瞑想が目指す境地などを、一つひとつかいつまんで見てきますと、うまく付き合えばお酒もいいのかなという感じがしますね。


敵を知り、己を知れば、百戦危うからず。


何ごともいい付き合いをしていければいいですね。


Shanti Shanti


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