刹那の早送り
新型インフルエンザのピークが過ぎたとは言え、急激に冷え込んだ気候のせいで、風邪をひいていらっしゃる方も少なくないと思います。
この師走、いかがお過ごしでしょうか。
私の方はといいますと、さすがは12月。公も私も目がまわるほどに忙しく、気がつけばそろそろコラム原稿の締め切り!
さて今年の締めくくりは何を書こうかと、少しばかりこの一年を振り返ってみました。
年初に予感していた通り、今年は(も)短距離走並みの駆け足で走り抜けた一年で、何といいますか、早送りで映画を観終わったような感覚。
とは言え、それでいて不思議とヨーガ的な感覚に、すっぽりと包み込まれたような一年でもありました。
Steve Rossとのリトリートに全国ツアー、指導者トレーニング、そして締め切りに追われる毎日、と言ってもそれらは常にヨーガ関係のもの。一年を通して、常にヨーガと共にあった。
という意味もなくはないのですが、それ以上に、早送りで突き抜けた故のヨーガ的感覚と言いましょうか、不思議な感覚を覚えた一年だったのです。
通常のヨーガのイメージでは、再生方式で言えば、どちらかと言うとスローモーション再生という印象が、限りなくそのイメージに近いもの。
例えば映画で言いますと、1秒間に24コマの静止画像が切り替わって、あの流れるような動きが作られているわけなのですが、そのスピードがどんどんペースダウンして、1コマ1コマをくっきり鮮明に、そして繊細に知覚するという感じが、一般的なヨーガのイメージに近いのかなと思います。
もう少しヨーガ的に言いますと、ヨーガや仏教には「刹那(ksana)」という言葉がありまして、時間を細かく細かく区切っていくと、これ以上は勘弁してください、もう細かくできません、という究極の短い時間に行き着き、この「時間の最小単位」のことを「刹那」と呼んでいます。
私達が生きている世界は、この「刹那」のパラパラ漫画のようなもので、常に今という瞬間がパラパラと移り変わって生滅を繰り返し、その一瞬の「刹那」に私達は生きていていると教えているのです。
諸説では、この「刹那」は1/75秒と言われているのですが、すでにテレビの世界では、通常1秒間に30コマのところを、液晶テレビなんかの近頃のテレビでは、1秒に60コマを瞬間的に切り替え、それを某s●nyの4倍速テレビなんかでは、電波の中にない画像までテレビ内部で新たに作ってしまい、240コマの画面を切り替えるという恐ろしい時代。
すでに上記の「刹那」よりも速く画面が切り替わってしまっているわけで、、、汗、
ヨーガ的な感覚では、それらの画面をスローモーションで知覚することによって、一瞬一瞬を鮮明に感じ、未来も過去もないその瞬間の中に留まり、ありのままを感じるという境地に至ろうとします。
少し話しはそれますが、子供という生き物は、ある意味こういったことが自然とできているわけで、すべての瞬間が新鮮で目新しく、大切な約束や大人達が決めたルールなんかはどこ吹く風とすっかり忘れ、その瞬間を味わい尽くして生きています。
そんなわけだから一日がとても長く感じられ、そんなわけだから一瞬一瞬がとても味わい深く、そんなわけだから親や先生からこっぴどく叱られ、そんなことを繰り返すうちに、私達はその一瞬に留まれなくなっていくわけです。
これはヨーガ的には悲しいことですが、社会的に生きていく上では必要なことなんでしょうね。
さらに話は脱線し放題ですが、私の子供の頃はといいますと、そんな子供的なところがある一方で、小学生の頃から毎晩のように、自分って何だろう、死ぬとどうなるんだろう、永遠に消えちゃうのかな、永遠ってなんだろう、時間って何だろう、といった類のことを、ぷつぷつと小さな穴のあいた部屋の天上を眺めながら考えていたのを覚えています。
その当時の私が行き着いたのは、といっても中学頃に行き着くのですが、時間ってそもそも存在しないんじゃないかなっていう結論でした。
時間ってものは人間が勝手に作っちゃったもので、実際には過去も未来もない。あるのは変化だけ。
何かしらの変化があったとして、その変化の前と後とで「時間が過ぎた」ってことにする決め事を誰かが作っただけ。
そしてそれを誰かが「時間」って呼ぶことにしただけ。
このあたりの考え方がベースとなって、グナの均衡が崩れて時空が生じるというインド哲学の理解へと結びつくのですが、これはあまりにマニアックな話しのでいつかお話しするとしまして。。。
そろそろ話しを元に戻しましょう。
はて、何の話しでしたでしょうか。。
そう、早送り再生の話しでした。
例えば映画を早送りで観る場合ですが、中にはその速さについていけず、無関心になってしまう人もいるとは思いますが、同時に極度の集中をして映画に没頭する人もいるはず。
速読の理屈です。
一年を駆け抜ける、あまりにも多くの情報量と激しい変化によって、集中せざるを得ない状況に追い込まれる。他のことを考える余裕もなく、そこに留まるしか逃げ場のない状態の中で生まれる極度の集中。
まさにPower Yogaの感覚です。
私が遅まきながら、最初にその感覚と出会ったのは、2000年のLA修行の際、かのSteve Rossのクラスに参加した時のことでした。
それまで古典的なスタイルしか練習していなかった私が、あまりに激しいシークエンスに追い込まれ、エッジに立たされ、頑張るというそれまで通りのやり方では乗り越えられそうになかった時、そこに逃げるしかない状況にまで追い込まれた私は、ふっと押し寄せる乳酸の感覚を一歩引いたところから見つめ、見守ったのです。
嘘のように身体は軽くなり、逆にグォーっと漲るパワーが内側から溢れ出し、そんな自分を優しく見守る自分がそこにいたのです。
それまで頭で動いてたんだってことに気づいた瞬間でした。
身体そのものに主導権を預け、無関心じゃなくてその正反対、深い深い関心を持ち、研ぎ澄ました集中を保ち、そして何もしない。
私はそれを、ただ見守っているだけ。
そんな感覚に近い一年だったように思います。
追い込まれなければ集中しない。集中しなければ、余計なことをたくさん考え、その多くはネガティブなものだったりするので効率も悪く、疲れもする。
逆に、今その瞬間に留まらなければ乗り越えられないほどの試練が押し寄せたとして、映画が猛烈なスピードで早送り再生されていて、否応なくそれへの集中を余儀なくされる。
といえば聞こえはいいですが、実際には眠かったり、疲れたり、肩凝ったりですが、駆け抜けた一年を改めて振り返ってみると、そんな一年だったように思います。
皆さんの2009年は、どんな年でしたか?
どんな年であったとしても、それを現在位置とし、素敵な2010年に向かっていけますように!
今年も残すところあと数日。
どうか、よい年をお迎えください!
そしてこの一年、ありがとうございました!
Om Shanti & Merry Christmas!