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二色パン

 

暮らしの中のヨガ哲学

21世紀がはじまって早10年。

という書き出しをしようと思って念のため調べてみたところ、21世紀は2001年からだったんですね。という訳で仕切りなおしまして。

21世紀がはじまって10年目となる2010年1月。

私こと綿本は、先日、晴れて40歳になりまして、分かってはいるものの、こうして改めて活字にしてみますと、ズン!と重く圧し掛かる「何か」を感じてしまう今日この頃。

皆さまはいかがお過ごしでしょうか。


40歳になってみて、改めて考えるのは、、、「二色パン」 のこと。


二色パンといいますと、表向きは何の変哲もない菓子パンのフリをしながらも、実はその中身がチョコレートとクリームに分かれているというスグレモノで、私も中学生の頃、たまに購入しては、最初にかじった方がチョコレートだっただの、クリームだっただの、一喜一憂していたのをぼんやりと記憶しています。


そんな本物の二色パンのことはさておきまして。


実は私、随分以前から、自分の人生を二色パンに喩え、若い頃は、自分の夢や欲求を原動力にしながら突き進み、それでもその方向が多くの人の役に立つように軌道修正していく人生を。そしていつか、自分の思いでさえ完全になくし、ヨーガが目指す究極のゴールに向かって本格的に歩んでいく、二色の人生を楽しみたいと思っていました。


そして、その「いつか」が、近年では漠然と40歳という節目に置くようになっていたのです。


インドでは四住期という考え方があるのですが、人の一生を四つのステージに分け、それぞれ「学生期」「家住期」「林住期」「遊行期」と名づけて、それぞれのステージでの生き方について示しています。


学生期(がくしょうき)というのは、10歳前後から20歳までの年齢で、世の中のこと、社会のこと、そして哲学などを学び、後に訪れる3つの期の準備を行う期間。

現代においては、学校に通い、将来自分が担っていく役割に備え、知識や技術を身につける時期にあたります。


家住期(かじゅうき)は、結婚をして子孫をもうけ、家業を繁栄させて儲け、家族を養っていく時期。

現代の日本では、家業でなくとも何かしらの職に就き、そこで自分の役割を果たし、それによって収入を得て自分や家族を養うと同時に、社会に貢献するという、一般的な社会人としての時期です。インドでは古来、おおよそ40歳までがこの家住期としていますので、現代の定年よりは少し早いタイミングだったんですね。


そして林住期(りんじゅうき)。

古典的には、孫の誕生を見届けてから、林など人里離れたところに『隠居』して、禁欲的な生活を始める期間。

次に訪れる遊行期への本格的な準備期間です。

余談になりますが、昨年末「ホンマでっか!?TV」で、脳科学者の澤口俊之先生が「50歳以上の男性は、生きる意味が科学的に証明されていない」と明言されていましたが、年齢の微妙なズレはあるものの、古代の行者たちは、それを本能的に見出していたのかも知れませんね。

社会や家族に対する役割を終えた人は、次のステージに向かうための準備期間に入る。

そもそも隠居という言葉は、そういった役割を終え、自分のことだけを考えてを生きていくことが許された状態を表す言葉。俗的には、旅行三昧、温泉三昧、食三昧など、好き勝手に生きるような印象がありますが、本来は自分の幸せだけを考える=三昧(サマディ)を追求することとしての意味があるわけです。

ちなみに小説家の五木寛之さんは、この期は50歳から75歳であり、この期こそが人生のピークであるとされています。


そしてそういった隠居生活の次に訪れるのが遊行期(ゆぎょうき)。

これまた好き勝手に遊び歩くイメージを持ちやすい言葉ですが、本来は隠居の住まいをも捨てて乞食となり、遊行しながら所有物をすべて捨て去り、ヨーガの最終仕上げに移る時期。

もともと「乞食」というのは仏教用語で「こつじき」と読み、家族も財産も役割も捨てた僧侶が、食べるものを他人から乞うて生きることを意味する言葉。

このように、他人の世話になりつつも、自らの行の完成を追求する時期がヨーガの最終段階として考えられていました。


さて、このあたりで話しを綿本事に戻しますと、家族や役割は捨てないものの、古典が示す40歳という年齢に漠然とした意味を感じ、それまでは二色パンのうちの一色目を、そしてそれ以降は二色目を追及して生きていければなぁと思っていたのです。


その大きな節目に己の気持ちを完全に切り替え、より本格的なステージに向けての歩みを始めてみたい。


以前はまだまだ先と思っていた40歳。

あと少しでバカボンのパパさんに手が届く今日この頃。

2ch的に言いますと「おさーん」という年齢に突入した綿本ですが、いざ晴れて「おさーん」になってみて改めて感じるのは、、、

「車は急に止まらない」ということでした。


大晦日の夜。

ナチュラルハイに突入した娘の1人を連れ、近場の神社に初詣に行ったときのこと。


生まれて初めて年が変わる瞬間を体験する!ということだったので「2009/12/31 23:59から2010/1/1 0:00 になる瞬間、このたった1分、というよりも1秒が過ぎたその瞬間に2010年がスタートするんだよ」というようなことを言ってはみたのですが、本当のところはそれは人が勝手に決めただけのこと。

時は何事もなかったかのように静かに流れ、何ひとつ特別ではない1分、1秒、そして刹那が流れ過ぎているだけのこと。


確かに気持ちを切り替えるには、一年間で1,2位を争う程うってつけの口実になる瞬間。


でも、デジタルではなく、私が39歳だった夜から40歳になった朝がそうであったように、時は変わらずいつも通りアナログで流れ続け、そして今日も車は急に止まらない。


何かが外側から突然変えられるわけでなく。

結局のところは、己が目の前にあることを少しずつ積み重ね、そしてその分だけ見渡せる景色が違ってくるだけの話。


確かにヨーガの世界には「タントラ」というやり方もあって、ある一定の段階になると師匠の手ほどきでドロンと化けることも無くはありません。


でも、そんな師匠を持たない私にとって大切なのは、何も変わらない毎日を、だからこそ少しずつ、本当に気が遠くなるくらいに少しずつ変えていくだけ。


二色パンの二色目。


そろそろそちら側を食べてみようかなと思えるようになっただけでも、私もヨギとして人並みに行を深めているんだと信じ、日々深まりゆく「おさーん」への自覚を噛み締めている綿本でした。


皆さまの2010年も、変わりなく有意義で、そして少しずつ素敵な方向へと変わっていきますように。


OM Shanti


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