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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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高野山という宇宙

 

暮らしの中のヨガ哲学

自宅から電車を乗り継ぐこと、およそ六時間。

いびつな形のケーブルカーに揺られ、くねくねと曲がる山道を抜けると、そこには民家のごとくフツーにお寺が軒を並べ(?)、厳かな雰囲気をまとった高野山の街が広がっていました。

私は地元が関西ということで、和歌山のこの地は隣接する近場ではあったのですが、なかなか今までご縁がなく、てっきり高野山という山があるのかと思っていたほどの縁遠さ。

聞けば高野山という山はなく、八つの山々に囲まれた盆地の地名が高野山とのこと。ただ、八つの山の一つに、駄洒落のように小屋山(こやさん)という山があり、さすがはお笑いの聖地 関西だなぁと、一本とられた気になったのは、長い歴史の中、私一人ではないはずと、ただそんな話はさておきまして。。


先の連休、YOGINIさん主催ということで、恒例の春リトリートに行って参りました綿本です。

皆さまは、いかがお過ごしでしょうか。


真言密教の開祖「空海」 通称 弘法大師が、今もなお瞑想し続けるとされる日本有数の聖地である高野山。

今回のリトリートは、その空海が最後の瞑想に入られた3月21日と重なり、不思議なご縁を一方的に感じつつ、前日入りした私は下見がてら周辺をご案内いただくうち、「高野山って宇宙なんだ!」と唖然としてしまいました。


街全体が寺、寺、寺、その数は優に百を超え、今回会場となった金剛峰寺大師協会に入れば、電光式の大きな両界曼荼羅がお出迎え。

手を洗おうと蛇口をひねれば、その横にはマントラが書かれた貼り紙。大広間には大日如来の曼荼羅に空海の絵。散歩をすれば至るところに五輪塔が立ち並び、空海が今もなお瞑想しているとされる奥の院への道は梵字のバンの形をしていて、私たちはその巨大な文字の辺を歩いて参拝しているという徹底振り。


そもそも密教というのは「宇宙を象徴する何か」との「合一」を目指すもの。


私たちが自分一人で生きているんじゃなくて、宇宙の一部なんだってことを悟るために、あまりにイメージしにくい「宇宙」という感覚を、曼荼羅や真言(マントラ)、印(手のムドラ)や仏像、絵、構造物などに詰め込み、宇宙を象徴するものとして意味付けられたそれらと合一しようとする手法。

非常に荒くたい言い方で恐縮ですが。。。


これまた、そもそも密教というと何やら中国や日本的な印象を受けますが、本来はインド原産のもの。

宇宙とひと繋がりになるという「タントラ」の思想が仏教に加わり、密教となって中国を経て日本に伝えられたものなのです。


同じ構造はヨーガの歴史の中にもあり、瞑想主体のラージャヨーガに「タントラ」思想が加わって「ハタヨーガ」になった、という中に見てとれます。


例えば、密教では上記のように五輪塔を建てて宇宙を表わすのですが、これは宇宙を構成する地/水/火/風/空という五つの要素(エネルギー)が、互いに絡み合って宇宙が存在していることを表しています。

同様にハタヨーガでは、地/水/火/風/空の要素を身体の中で調整し、自らの身体内に宇宙を作り出そうとします。

また、ハタヨーガでは、会陰周辺のエネルギーと頭頂周辺の智慧を合一させることで、宇宙のバランスを身体内で再現しようとします。


なので本来的には、身体を動かす=ハタヨーガという訳ではなく、身体の中に宇宙を作るもの=ハタヨーガなのです。そんなわけで、私のスタジオでは、あまりハタという言葉を使わないのですが、それはそれとして さておきまして。


いずれにしても、密教では身体を動かしたり、気を回したりするのではなく、図形やら言葉やら仏像やらに宇宙のイメージを摺り込み、その上でその摺り込まれたものを見たり、聞いたり、感じたりすることで宇宙とひとつになるというアプローチをとるのです。


高野山には、そういった意味での「宇宙」が至るところに散りばめられていて、サブリミナルのような無意識レベルではなく、さながらハリウッド映画のようにストレートで分かりやすく、サッカーで言えばブラジル代表のように、これでもかと言わんばかりに波状攻撃を仕掛けてくるという有り様。

なるほど僧侶の方々が高野山を「修行場」というだけあり、徹底して宇宙を摺り込むには素晴らしい環境だなぁと関心するばかりでした。さて、話は戻りまして。。


今もなお、高野山の奥の院で瞑想しているとされる空海。


自らが死んでもなおミイラとなり、誰かのお役に立とうとする「即身仏」になられたお坊さん同様、命という境界線を越え、人様のお役に立とうとするそのお気持ちは、日本に生まれ、日本に生きた本物の瑜伽行者として、私もこのような人になりたいものだなぁと思ったりもするのでした。


が、高野山で久し振りにお会いした方々に、「また痩せました?」などと何度か言われると、私などは死んだらガラスープの出汁がお似合いかな、などとブラックなイメージを思い浮かべ、これは使える!とメモを取る綿本でした。。


最後になりましたが、この高野山リトリートをサポートしてくださったすべての方々、そして何よりも受講生の方々に、厚く御礼申し上げます!


ありがとうございました!


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