マージナルマン
日本中が寝不足ムードに包み込まれた 2010年6月25日。
4年に1度のサッカーの祭典 ワールドカップの大舞台で、日本代表は見事に歴史的な勝利を収め、日本サッカー史上初となる決勝トーナメント出場を決めました!
という感じで、スポーツ記事のごとく、少し興奮気味な書き出しになりましたが、私こと綿本、実はワールドカップにはとても興味がありまして、4年に1度はドロンとにわかサッカーファンになり、「やった!」「あぁぁぁ」などと熱く熱く観戦したりしているのでした。
恐らく「ヨガの先生がスポーツ観戦に熱くなるなんて。。。」と思う方も多くいらっしゃるとは思いますが、「これは別腹なんです!」と弁解するつもりもなく、私の日常はまだまだ煩悩にまみれていて、そういった温いところを行ったり来たりしている毎日を過ごしていたりしています。
以前、書きました「二色パン」の真ん中あたり、ちょうどクリームとチョコレートが混ざり合う「チョコクリーム」的な感じのところ。。
それが私、綿本の現在位置なのであります。
そんな中途半端なあたりに位置する自分を思う度、いつも脳裏にぽわんと湧き起こるワードがあります。
マージナルマン。
境界人と訳されることの多いこの言葉。
ちなみにお馴染みの大辞泉でその意味を引いてみますと、「文化の異なる複数の集団に属し、そのいずれにも完全には所属することができず、それぞれの集団の境界にいる人」 とあります。
私はこの語を、発達心理学でいうところの「青年期」を象徴する用語として高校か大学で学び、それ以来ずっと心に残るキーワードになっていました。
ところ天のように、時の流れと共ににゅーっと大人の方へと押し出されていく、何とも言えない無力感に包み込まれた人生の中の切ないステージ。
私はちょうどそんな季節に、島田伸助 第一回監督作品である「風、スローダウン」を観て何度も涙していたのを覚えています。
そんなことを書いていると、むしょうにその主題歌である「季節のない季節」(BORO) を聴きたくなったので、CDの山から見つけ出し、コラム書きのBGMにしてみました。
自分の意思とは裏腹に、そっちの方へ追いやられていくも、どうにもこうにも大人になりきれない、どっちつかずの中途半端な季節。
今の私は、何となくそれに近い状態のような気がします。
大人の世界で生きていくことを覚悟し、自分が本当にやりたいことを見つけてこのヨガの道に入り、その中でいくつもの夢を描き、それを原動力に少し急ぎ足で色々なことに取り組んできたこれまでの人生。
でも、それらはどこかしらエゴを満たすための衝動に満ち溢れていて、自分の居場所が欲しかったり、生きていく実感を得たかったり、生きてきた証が欲しかったり、自分の能力を確かめたかったり。。。
そんな邪まな原動力に後押しされながらもヨガの行を深め、でも ヨガを深めていくうち、ちっぽけな自分の輪郭が鮮明に見えてきたりして。自分にできること、そうでないことが分かってきて、やがて、自分のできる範囲でいいから精一杯社会の中で分を担い、務めを果たして生きていきたいという気持ちが芽生え、同時に、自分のエゴを満たすことの虚しさやその先に待ち受けているものも分かってきたりして、これまで描いてきた夢に、それまでのように強い気持ちで情熱が持てなくなってきたのです。
心の底から欲することの内容が、よりヨガ的なことへとシフトしてきたんだと思います。
なのですが、人の心なんてものはとても業深く、そう簡単にON/OFFで切り替わるものじゃなくて、場面や気分次第で、Bモード(煩悩モード)の綿本もいれば、Yモード(ヨガモード)の綿本もいる訳なのです。
そこには様々な綿本がいて、それでいてパーフェクトにどっちにもなりきれず、チョコクリームな感じのまま、あっちへよろよろ、こっちへよろよろしたりして、少しずつヨガが深まっているのか、そうでないのかという季節が続きゆく今日この頃。。
マージナルマン。
青年期から長い時を経て、そのワードが再び私の中でぽわぽわと響き続けているのでした。
でも、実は確実に若かれし頃の私と違う点があるのです。
それは、
自分がその境界人というポジションにいることを認め、それなりにそのどっち付かずのエリアで市民権を得ている感じがしているということ。
つまり、エゴベースで動いている私と、ヨガベースで動いている私との接点。相反するようにも思えるその二つが、互いに重なり合っている領域が確かにあって、その境界線ならぬ境界エリアなるあたりで、今日もエゴベースで人様の役に立とうとする私がいる。
エゴでもいいじゃない。デジタルで切り替わらないんだから。
でも、せめてそのエゴが、少なくとも私の周囲にいてくれている人たちのために役立っていますように、、と願う今日この頃。。。
4年に1度のサッカーの祭典、ワールドカップ。
人が持つ闘争心や競争心を、暴力や破壊という、あらかさまに他を傷つけるような手段で表現するのではなくて、ルールが存在するスポーツという名の基でそれらを満たし、応援する人たちをも巻き込みながら健全に争っていく。
まさにこれも「境界エリア」に属する類の代物なのかなと、白熱観戦の理由を変に理屈付ける私なのでした。。
改めまして、サッカー日本代表、決勝進出、おめでとうございます!
そして、来週からの決勝トーナメント、お隣の国 韓国を含め、心よりShantiに応援申し上げております。
敬具!