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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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ラジャスなMA

 

暮らしの中のヨガ哲学

各地で記録的な猛暑が続く中、体調を崩されている方が増えている雰囲気な今日この頃。 皆さまはいかがお過ごしでしょうか。


私はそんな猛暑の中、先日都内某所にて、この秋NHKさんからリリースされる新作DVDのMAを行なってきました。

といっても、MAの正式な意味を知らなかった私は、この機会にとWebで調べてみましたところ 「Multi Audioの略語で、映像編集後の音声処理を行うこと。NHK技術研究所で使われていた言葉が一般化したもの」 だそうです。

トリビア的には 40へぇ くらいでしょうか。 古くてすみません。。


話は戻りまして、そんな私なのですが、実は新しいDVDや書籍を作らせていただく際、いつも心がけていることがあります。


何か新しい要素を盛り込めないかな?


それは私が根っからの”ひねくれ者”だからということもあるのですが、ヨガ的な意味合いでみても、既存の概念にとらわれず、もっとそれを手にとってくださる方の役に立てるものにならないかな、と毎回自問する訳です。

といっても、それが独りヨガりに終わることも少なくないのですが。


そして、今回のDVDもご多分に漏れず、通常誘導の音声に加えて “解説モード” なるものを収録し、ウザい程の情報量を盛り込んで、ポイントやバリエーション説明を行なおうと考えたのでした。


単純に私もスタッフも手間は二倍。。。


よせばいいのにという世界ですが、これがまた当初の予想以上に過酷なレコーディングになってしまった訳なのでした。


何がそんなに過酷だったのか。


普段の私の誘導は、これは指導者トレーニングでも力説することなのですが、常に地に足をつけ、腹を据え、胸を開き、肩の力を抜いて、頭を空っぽにする。つまり瞑想的な状態を作りながら、声に身を任せて行なうよう心がけています。


「歌うたいのバラッド」 の世界です。


ところが 今回の解説モードでは、そんな 自然体 ではいられない、
古館伊知郎(さん)さながら怒涛のトークで解説を盛り込み、メモしておいたポイントを網羅しようと頭をフル回転。

身体に染み付いた「いつも通り」からはみ出ることの難しさを再確認したひと時なのでした。

放っておくと「いつも通り」へと流れていく。

その流れを「いつもと違う」方へとシフトさせていく試み。


こういった試みは、一見「非ヨガ的」と思われがちですが、私としてはとっても「ヨガ的」なんじゃないかな。というよりは、これこそヨガだと言っても過言ではないんじゃないかなと、ひねくれ者の綿本は思う訳です。


ヨガでは、心の三要素といって、心が持つ性質を「サットヴァ」「ラジャス」「タマス」の三つに分けることができると教えています。


サットヴァは 純粋な要素。

ラジャスは 激しく動的な要素。

そしてタマスは 変化のない惰性的な要素。


ラージャヨガ(瞑想ヨガ)では、サットヴァの状態を良しとするも、最終的には、それさえも心の働きの一要素として取り除こうとするのが基本スタンスなのですが、それはさておきまして。


少なからずとも私たちは当面、このサットヴァの心の質を目指す訳なのですが、ご存知この状態、ごろりと横になってテレビを観ながら柿の種なんかをポリポリ食べているだけでは手に入らない訳で。。


では、どうすれば良いのか。


きっとそれは、何かしらの「努力」や「働きかけ」があってこそ、その後に訪れる境地なのではないかなと。


普段の私たちは、とても理想とは言いがたい心の状態で生きていて、放っておく、つまり ある意味いつも通りの自然体でいると、そのままの惰性で易き方へと転がり、堕落していくのが人の性。


そんな状態から抜け出すには、ラジャスという「動」の要素が必要であると思う訳なのです。


このラジャス、ヨガでは「よくない性質」として考えられることが多いようですが、私はどうもそう頭ごなしに否定するような代物でもないのではと思っています。

確かにラジャスは一時的に「緊張」や「激しさ」や「不自然さ」を引き起こすかも知れません。


でも「惰性」から抜け出すには、そこから抜け出そうとする「欲望」や「情熱」が必要なんだと思いますし、スートラにもそう明記されています。


ヨガを深めるには、修習と離欲の両方が必要であると。


放っておいてもたどり着けない「サットヴァ」という質にたどり着くには、差し当たりは「ラジャス」の質でもって惰性な現状を打破(破壊)する必要がある。


人事を尽くして天命を待つ


つまり、何もしなければ事は始まらない。

でも、その何かを行い続けるだけでも辿りつくことはできない。


流れに逆らいながらも、日々の積み重ねによって変化を引き起こし、そして、そういった執着や努力でさえもいつかは手離し、ありのままを待つ心が必要なんだと。


解説モードの収録後、きっとこのプロセスも私が通るべき道筋だったんだと、性懲りもなく前向きになりつつも、そんな気持ちをコラムネタにと、帰路の車中でメモを綴る綿本でした。。


あと僅かでもう八月。

さらに本格的な猛暑が私たちを包み込んでくれることと思いますが、そこを乗り切る努力とそれを手離す気持ち。

その両方でこの夏をShantiに乗り切っていければと思います。


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