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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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ローマの休日

 

暮らしの中のヨガ哲学

お昼はピザ、夜はパスタ。食後はバールでジェラートを楽しみ、石畳の路地を抜けて宿に戻る。

そんなローマの休日を過ごしております綿本です。

といっても、これを配信する頃、私はサンフランシスコだと思いますが、今回はどうしてもこのタイトルでコラムを書きたくて、前倒しで書いています。

タイトルありきですみません。。

皆さまはいかがお過ごしでしょうか。


例年、海外修行を行う際には、予定をびっちりと入れて観光などしない私なのですが、一作年の修行で首を傷めた際、何もしない時間に心地よさを覚え、以来少しはのんびりとするようになりまして、今回もローマの街を楽しませてもらっています。


何せ日本では、目先の仕事に追われ、このローマの地にも取材やら宿題やらを抱えてやってきたものですから、ローマという街については何の知識もなく足を踏み入れてしまった訳なのですが、よろよろと宿の周辺を歩いてみましたら、街全体が遺跡のようなもので、名所巡りをするまでもなく、大きな名所の中を歩いていることに気づきました。


もちろんその中でも、ポポロ広場やスペイン階段、ヴェネツィア広場、コロッセオ、真実の口など、サッカーで言えば10番クラスの大御所がごろごろと歩ける範囲内に点在しているのですが、それ以外にも随所に名所があり、あちらこちらに大きな教会もあり、普通の建物までもが普通でなくて、それらにトーンを合わせて建築されたのか、昔ながら使われているのか、とにかくあり得ない感じで凄い街であることに、ここに来て初めて知ることになりました。


そういえば先日お招きしたマシュー先生が “サンタモニカで石を投げれば Yoga Teacherにあたる”、という新しい諺ができるくらい、ヨガの先生がたくさんいるようなことをおっしゃっていたのですが、こちらでは石を投げれば遺跡に当たるし、そんなことしたら怒られるだろうにという勢いで、とにかくそんなローマの街なものでした。


そもそも私が今回、ローマに来ることになったのは、他でもないイタリアではカリスマ的人気を誇る Roberto Milletti先生に招いていただき、ローマにある先生のスタジオと、ミラノで行われるYoga Festibalで指導をさせていただくことになったからです。


さらにそもそもRoberto先生とは、2009年のヨガフェスタで同時開催された Yoga Aid Challangeでご一緒させていただき、私が醸し出す雰囲気をえらく気に入ってくださったということで、今回招いていただくことになりました。


コラムの途中ではありますが、この場をお借りして感謝の気持ちを込めて


Grazie mille Robeetoーsensei!


そんな訳でコラム再開。

というよりはブログ調でローマ話は続いていくのですが、観光と言えど何せ一人旅なものですから、誰と会話するでなく、ただひたすら歩き続けては名所で体を休め、そしてまた歩き始めるというような具合。


そんな中、トレビの泉のすぐお向かいにある教会に足を踏み入れた時のことでした。


それまでざわざわと騒がしく会話やらバイクの音やらが聞こえていたのが、驚くほどにすぅーっと引いていき、一瞬にして静けさの世界へと誘われるのをはっきりと感じることができました。


とても静かで神聖な空間。


思わず私はイスに腰掛け、10分ほど目を閉じてその空気感を味わっていたのですが、これまた時差ボケやら歩き疲れやらが嘘のようにすぅーっと消え去り、アーサナと共に瞑想した後と同じような快適さが訪れたのです。


教会。。。。いいかも。。。


それまで私は、観光で方々の大聖堂などと言われるところを訪れたことはあったのですが、それらはあくまでも見物であって、心をやすらげる場所として捉えたことがなく、今回その初体験が私をにわか教会マニアに仕立ててしまったのです。


以来、至るところにある教会を見つけては心を静かにし、その神聖な空気を満喫する、といった教会巡りが始まりまして。。


仏教のお寺や神社とはまた違う空気。


天井が思い切り高く、厳かな空気の中にもきらびやかな装飾に包み込まれ、壁や天井には美しい宗教画が描かれている。
大きく包み込まれ、そして絶対的に守られているような安心感。


形こそ違えど、やはり人は根本的に、心の汚れを洗い流し、きれいにするための場所を、古今東西必要としているんだな、ということを痛切に感じるひと時でした。


私たちは、幸せと不幸せとが入り混じった世界の中で生きていて、だからそこで過ごしているうちに必ず心に汚れがたまっていって、なのでその汚れを取り除きたくなって、歴史的には宗教がその役割を担うとても大きな存在になっていて。。


そんなことを思っていると、ふとヨガの中でよく言われる「身体は寺院である」という言葉を思い出したのです。


私たちは、みんな心の汚れを取り除きたいと思っていて、リセットしたいって思う瞬間を幾多も経験していて、でも今の世の中、無宗教の人が増えていて、私も含め、何かひとつの絶対的なものを信仰するということから遠ざかっている。。


だからヨガが世界規模で求められているんだな。。。


教会やお寺や神社に出向くも良し。

でも、それができなくても、それがしたくなくても、身体をうまく使いさえすれば、そこが自分自身のお寺となり、教会となる。


とても清らかでやさしさに満ち溢れ、平和で静かな場所を作り出すことができる。


そして教会でミサが行われるように、お寺で勤行が行われるように、私たちは毎日のプラクティスを行うのかなと。


スナックバーでジェラートをぺろぺろしながら、なかなかいい落しどころかなと満足げにメモをとり、ややニヤけ顔をした綿本は、少しいぶかしげな顔をした店員と目が合うも、今月のコラムはこれで決まりだなと己の世界に埋没するローマの夜でした。。


エピローグ1
とある教会の最前列で30分ばかり瞑想をしていましたら、知らない間にミサが始まってしまっていて、言葉が分からないまま立ったり座ったり歌ったり、また立ったり座ったり跪いたり、しまいには何か食べさせてもらったりと、とても貴重な経験をさせていただいた綿本でした。


エピローグ2
ローマ後半&ミラノでは、Roberto先生×その愉快な仲間たちと合流し、私のクラスをサポートしてくださったり、レストランで騒いだり、MC YogiのGive LoveをBGMに路上で踊ったりと、これまたとてもイタリアンな貴重体験をさせていただきました。


エピローグ3
そして舞台はサンフランシスコへ。こちらはまだ24日ですが、先ほど理論+実践5.5時間のワークショップを終え、宿に戻りました。
長丁場ではありましたが、環境も恵まれ、最後にはあり得ない程の静寂で終えることができました。


改めて、関係者の方々、受講生の方々、留守を許し守ってくださっている方々に御礼申し上げます!


Grazie mille!

Thank you very much!

そして、ありがとうございました!


Namaste


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