瞑想とは
たとえば今、親しい友人の家で喉がカラカラに渇いていたとして、
そんな時にコップ半分の水を出してもらったら、あなたはどう感じますか?
こんなにも喉が渇いているのに、水が半分しか入っていないと感じるでしょうか。
それとも渡りに船で、水を半分ももらえたと感じるでしょうか。
ご存知、前者がネガティブ思考、後者がポジティブ思考ですが、
瞑想の世界では、そのどちらでもなく
「コップに水が、半分入っている」
と、中立的にありのまま物事を捉えることを目指しています。
瞑想は、二種類に大別できる
瞑想の専門家でもあまり語らないことなのですが、世の中には大きく分けて二種類の瞑想があります。
一つは、「ありのままを観る」ことを目指すタイプの瞑想。
そしてもう一つは、「万物との合一」を目指すタイプの瞑想です。
前者の「ありのままを観る」タイプの瞑想は、
仏教瞑想、禅、ラージャヨガ、マインドフルネスなどで行われている瞑想で、独学で瞑想を深めるのに適したタイプの瞑想。
ちなみに「空」や「無」の境地とは、心がまっさらになって「物事をありのまま観る」ことができている状態、つまりこの瞑想と同じ境地を表しています。
また、「集中」タイプの瞑想は、それそのものが瞑想のゴールとして考えられておらず、主にこの瞑想の準備的ステップとして扱われています。
後者の「合一」タイプの瞑想は、
密教、タントラ、ハタヨガ、スピリチュアル系に多く見られる瞑想で、師に従いて特別な師弟関係の元で直伝されるのが一般的な瞑想です。
この合一タイプの瞑想は、また別ぺージでご紹介することにしましょう。
ありのままを観る
禅、ラージャヨガ、マインドフルネスが目指している「ありのままを観る」という境地。
これは一体、どういった境地なのでしょうか。
もしかして、心の動きがまったくない、無味乾燥で何の感動もない世界なのでしょうか…
活字で表すことのできないその世界を、あえて活字にするならば、
それは、究極に穏やかながらも深い感動に包まれ、不足感、不自由感が一切なく、その裏を返せば満ちたりとして、解放感に満ちた境地です。
私たちは普段、目の前に美しい景色が広がっていたとしても、過ぎ去ったことに心を奪われ、まだ起こりもしないことに心を振り回され、色んな衝動が湧き起こってはすぐに抑圧し、心から感動したり、満ち足りたり、解放されたりすることが難しくなってしまっています。
それでも、時おり息を呑むような素晴らしい景色に出会ったりすると、今この瞬間に全意識を総動員し、何のフィルターもなくまっすぐに景色を見つめることができ、感動と共に満ち足りた気持ちに浸ることができます。
瞑想とは、ポジティブでもネガティブでもなくニュートラルな状態に心を保ち、全意識を今この瞬間起きていることに総動員して、目の前の感覚をまっすぐに受け止めること。ですから、そういった感動に近い状態がずっと続くことになります。
たとえば目の前の岩に苔が生えていたとして、それを一切の先入観なくありのまま観ることによって、絶景を眺めて感動し、心が深く満たされているときと同じ感覚でいることができるのです。
高い旅費を払わなくても、究極のスーツやドレスを購入しなくても、今この瞬間に意識を総動員させることで、同じくらいの満足感を引き起こして生きていくことができる。
とっても心の燃費のいい日々の過ごし方を送る、ちょっぴり贅沢で素敵なツール。
それが世にある瞑想の一つ目のタイプ「ありのままを観る」タイプの瞑想で、これを書いている私自身もそこを目指して日々ヨガや瞑想を行っています。