暮らしと哲学
「暮らしの中のYOGA」というテーマの中で「哲学」を扱うにあたり、何で哲学なのに暮らしの中なんだ?と、二者のイメージギャップに戸惑いを隠せない方も少なくないと思います。 それもそのはず、インド哲学といえば「心と身体はエネルギーのレベルで同一のものである」とか「意識は、見る意識と見られる意識と見ているという意識に分かれる」とか、かなり複雑極まりない代物です。だからこそ、それらは脳みその中で理解し、消化していくべきものと思ってしまいがちです。 そこで第一回目である今回は、その二者の関係にせまりたいと思います。が、いきなり暮らしと哲学を結びつけるのは少々難しいので、まずはYOGAと哲学の関係について、見ていくことにしましょう。
最も簡潔にその二者の関係を表現するならば、「YOGAとは哲学である!」ということになります。と言い切ってしまう前に、そもそも哲学って何なのでしょうか。
辞書で引いてみると、哲学とは「世界や人間についての知恵・原理を探究する学問」とあります。つまり、私たちが住んでいるこの世界、ひいては宇宙、そしてそもそも私たち自身、人間とは、自分とは何なんだろうか、ということについて、ひたすら探求していく学問が哲学というわけです。そういう意味で、YOGAというのはまさに哲学、自分とは、心とは、意識とは、そして宇宙との関係は?ということについて、深く探求していくものです。
ただ、YOGAは学問ではありません。学術的な理論は持っていますが、むしろそれを頭で理解するのではなく、自らの実践によって探求し、実感に結び付けていくもの。それがYOGAなのです。
YOGA研究家の永遠のバイブル「ヨーガスートラ」の冒頭に、「ヨーガとは心の止滅である」というくだりがあります。この「心の働きを止めてしまう」ことこそYOGAの真髄に触れる部分なのですが、ここにYOGAを行う目的、YOGAの哲学の核となる部分が秘められています。
それは、自分自身を理解するために他なりません。私たちの多くは、身体は自分のものであり、それを動かしている心が自分のエッセンスであると考えています。自分=心。漠然としたこの図式が、心の止滅、という体験で崩壊する。これがYOGAの根幹です。
心の働きが完全に停止してもなお、そこに残されている自分がいる。この体験を通して、自分って一体何なのかという実感を獲得し、自分というものへの認識を変え、皮膚の外側の世界との関わり方を変えます。これがYOGAの哲学です。自分って何なんだろう。それを頭ではなく、体験を通して実感に結びつける。そして、実感に結びついたからこそ——ここからが大切なポイントです——、頭ではなく実感するからこそ、生き方が変わる、これがYOGAの真髄なのです。
小難しい本を読んで頭を理解するのではなく、体験を通して実感するからこそ、自分の人生に本当に生かせる「智慧」になるのです。換言すれば、毎日の暮らし方、が変化する。そこにこそYOGAの素晴らしさがあり、YOGAを実践する醍醐味が隠されているのです。そして、そこに哲学と暮らしの関係があります。
今も昔も人の悩みは同じです。
どうすれば快適に、幸せに暮らすことができるのか。悩みの質や深さは、YOGAが生まれた時代とは大きく異なっているかも知れません。ただ、私たちが毎日の暮らしを快適なものに変えたい、幸せに生きたいと願う気持ちに、そう変わりはないはずです。 だからこそ、肩こりや腰痛を緩和する健康法ではなく、腹の肉を落とすダイエット法でなく、哲学を実践する方法としてのYOGAが、何千年という気の遠くなるほどの歳月を経て、世界中の人々に実践され、愛され、必要とされているのではないでしょうか。
YOGAとは哲学であり、それは実感することによって暮らしの中に生かされていくもの。
このコラムは、そういった切り口で、のんびりとしたペースで更新していきたいと思います。どうぞ、のんびりとご期待ください!