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除夜と仏教とYOGA

 

暮らしの中のヨガ哲学

いよいよ2006年も残すところあと数日。忙しく走り回っていらっしゃることとお察しいたします。

ご存知12月は旧暦で「師走」とも呼ばれますが、この由来については諸説があり、一説では「師馳す」とも書いて「師」=「お坊さん」を表すそうです。そのお坊さんが各地各家で経を読むために馳せることから、こう呼ばれたのだとか。

私こと綿本はお経を読んでまわることはないのですが、年末ということで何かと今年中にしておきたいことが多くあり、年越しの情緒をもう少し味合わねばと思う今日この頃です。

さて、今回は暮らしと哲学ということで、そんな年末にちなんで「除夜の鐘」にフォーカスしてみたいと思います。

除夜とは、除日(旧年を除く日=大晦日)の夜のことで、その夜に鳴らす「除夜の鐘」は、 年を越すにあたり、人の心にある108つの煩悩を清らかな鐘の響きで鎮め、新しい気持ちで新年を迎えようとする仏事のひとつです。 以前は107回は年内に、最後の1回は新年が明けると同時に鳴らしていたようですが、今はご存知のように年明けと同時につき始めるお寺が多いようです。

ここで、なぜYOGA行者の私が仏教のお話しをしているのかと言いますと、荒い言葉で言いますと、仏教の開祖であるお釈迦さん(本名 ゴータマ・シッダールタ)は、広い意味で言うところのYoga行者だったからです。前回の「暮らしと哲学」でご紹介しましたように、東洋の哲学は頭で学ぶものではなく、実践を通して体感していくもの。インドの王族、釈迦族の王子であるシッダールタも、やはりこのインド哲学の実践=瞑想を通して悟りを得た方なので、私は広い意味でYoga行者と言っています。


話しを除夜の鐘に戻しましょう。非常によくある話題なのですが、なぜ人の煩悩は108つなのか。この由来についても諸説があるのですが、次のような説明が一般的です。

6種の感覚(眼、耳、鼻、舌、身、意)
×3種の認識(好=好き、悪=嫌い、平=どうでもいい)
×2種の程度(浄=きれい、染=汚い)
×3種の時間(過去=前世、現在=今世、未来=来世)
=108種の煩悩

他にも色々と説はあるようですが、ここで大切なのは細かい数字や計算法の方ではなく、煩悩を弱めることで、苦しみや悩みなどの「煩わしさ」から逃れることができる、という考え方の方にあります。

この考え方は、実はYOGA哲学のエッセンスでもあるのです。YOGA研究家の永遠のバイブル「ヨーガスートラ」によると、煩悩(原語であるサンスクリット語では「クレーシャ」と呼ぶ)は5種類あって、無知、自己意識、貪欲、憎悪、生命欲の5つだと教えます。少ないですね。でも大切なのは数ではありません。これらが私たちを苦しめる「苦痛」の元凶であり、だからこそ、その煩悩を弱めることによって
「苦痛」を弱めることができる、という考え方です。この考え方が、実はヨーガ哲学のベースにあるわけです。ですから、ヨーガスートラが教える「瞑想」も、実はこの煩悩を弱める(消し去る)ためにある、と言い切ることができます。


上の計算で、108のベースになっている「6種の感覚」について言えば、ヨーガでもまったく同じ6つの内的器官があると考えています。このうち5つの感覚(五感)をコントロールするのが、ヨーガの第5段階=制感、思考器官である意をコントロールするのが第6-8段階の集中→瞑想→三昧、にあたります。そして、そのための準備とも言える姿勢作りと呼吸調整が、それぞれ第3アーサナと第4段階プラーナーヤーマなわけです。ですから、ある言い方をすれば、「瞑想によって意識を集中させる」ということは、「煩悩を鎮めることで心の静寂を作り出す」ことを意味しているわけです。


仏教というと、中国から漢字ベースで伝わってきたため、何となくヨーガとの結びつきがないように思われがちですが、そもそも仏教とはインド原産。ですから紐解いていくと、とてもヨーガとの結びつきが深く、切っても切り離せない関係にあることが見えてくるのです。

さらに108と言えば、お経をあげるとき、数珠を使って真言を唱えた数をカウントするのですが、あの数も108つ。一回唱えるごとに煩悩を1つ消していくという意味があります。この真言も、実はインドの「マントラ」からきたもので、漢字で書かれていると中国産のように思いますが、サンスクリット語、あるいはその庶民なまりであるパーリー語を、そのまま漢字で音写したもの。ここでも仏教とYOGAの親密な関係を伺えます。


年末年始、何かとお寺や仏教に触れる機会が増えると思いますが、その中に見え隠れする「YOGA的なもの」について、意識して過ごしてみるのも面白いかも知れないですね。
よいお年をお迎えください。


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