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綿本ヨーガスタジオ提供 YOGA.jp - ヨガ・瞑想を知るホームページ

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生命の源

 

暮らしの中のヨガ哲学

地球温暖化の影響か、今年も空梅雨かと思われるような
蒸し蒸しするだけの日々が続いていますが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

私の方は、非常にプライベートなお話からで恐縮なのですが、11日に三女が誕生しまして、今回も立ち合わせていただいたのですが、相変わらず呼吸やら腹筋の使い方やらを誘導してしまい、その声があまりに大きかったらしく少々照れくさい綿本でありました。

その立ち合いの関係で、突然の代講を立ててしまい申し訳ございませんでした。また、多くのお祝いの言葉を頂戴しまして、本当にありがとうございました。


そんなこんなで、今回は”命”というものにフォーカスしていきたいと思います。神秘的というよりは、非常に論理的、哲学的になりますが。。。


皆さんは”命”って何だと思いますか?

大辞泉では、いくつかある意味の最初に「生物が生きていくためのもとの力となるもの」と紹介しています。生きる力の源ともいうのでしょうか。いまだ科学では解明されていない未知の領域のお話しなのですが、将来的にこの答えを導き出すには、細胞学や脳神経学などを含む医学に加え、エネルギーの本質について探求する量子力学、そして哲学と心理学など、幅広い知識が必要になってくるのでは、と綿本は勝手に思ったりしています。

なので、私などでは誰もが納得する答えを到底ご紹介できるわけもないのですが、今回はヨーガの哲学ではどう考えているのかということを、少しばかり科学的な言葉を使いながらご紹介できればと思います。


命とは何か?


ヨーガでは、その生きるためのもとの力のことを「プラーナ」と呼んでいます。これは「生命エネルギー」とか「氣」とか訳されるもので、これが命の正体であると考えているのです。


これだけを聞くと、多くの人は「そんなものは存在しない」といきなり反論されるかも知れません。が、まずはお聞きください。そもそもプラーナというのは、「存在する」とか「存在しない」とかを議論するべきものではなく、「何をもってプラーナと呼ぶか」という定義とか命名の問題なのです。だから私は、プラーナのことを「生命エネルギー」と訳さず、単に「エネルギー」と訳すようにしています。そもそも科学でいうところの「エネルギー」のことが、ヨーガでいう「プラーナ」ですよと申し上げているわけです。


確かに「エネルギーなんて存在しない」といわれると、あ、あのー、、と言ってしまうのと同じように、それは存在するしないの問題ではなく、何をもってエネルギーと呼ぶか、そういう定義の問題であることが分かります。

ただ、そうするとここで、今度は別の反論が生じるかも知れません。エネルギーといえば、電力や磁力、熱、化学エネルギーなど、物質を形作ったり、変化を引き起こしたりするものであって、生命とはほど遠いものなのでは?


確かに、そのポイントこそが、東洋と西洋の考え方の違いなのかも知れません。つまり、西洋では「物質と生命の間に境界線を引いてしまっている」ということです。

例えば、いま手元に顕微鏡めがねというものがあったとしましょう。

そんなのないですが。。汗。。もしあったとして、その倍率を分子が見える程度にセットして、目の前の景色を見渡してみたとしましょう。そうです。少々無理のある説明ですが、そのめがねで目の前を見てみると、すべてのものが分子という粒粒で構成され、それが絶え間なく動いているだけの世界を目にすることになるでしょう。それは物に限らず、人とて同じこと。人の細胞は脳から足の先まで、すべて分子で形成されています。


それでは、もう少し倍率を上げてみましょう。

分子はさらに小さな原子という粒粒から成り、さらに素粒子という粒粒から成り、いずれにせよ、私たちが目にするのは、その粒粒がよどめいている世界です。

私たちの脳みそも身体も、コンピュータのディスプレイも机も、皆その粒粒からできているわけです。そして、その粒粒を動かしているものこそ「エネルギー」なのです。

突っ込んで言えば、その粒粒そのものがエネルギーであるともいえるのですが。。。

多くの人は、私たち人間も他の動物も、あらゆる物質も、同じエネルギーでできていることを知っているはずなのですが、それではなぜ生命と物質を分けてしまうのでしょう。


東洋では、これらをすべて「同じエネルギー」と考えることで、とてもシンプルな結論を何千年も昔から説明しているのです。


そうです。物質も「生きている」と考えるわけです。ただ、物質は生命よりも少しばかり、状態や振る舞い方が違うだけ、と考えているのです。話しがややこしくなりますが、こうして考えると、進化論でいう「アミノ酸などの分子(=物質)から、最初の生命が誕生した」という説明も納得できそうですね。物質は生きている。


現に、プラスとマイナスが何故引き合うのか、根本的に説明できる人はこの世にはまだ一人もいません。だからといって、それが生命であると決め付けるのも飛躍ですが、少なくとも東洋ではそのように考えていて、そのエネルギーのことを随分以前から「プラーナ」と呼び、それが命の源であると考えているわけです。


脳や人体の研究は、ともすれば私たちを機械的な物質と見なす方向に向かっているかのようにも思われがちですが、実はとても東洋的な結論に向かって、まっすぐに突き進んでいるのかも知れませんね。あまり神秘的ではありませんが、ヨーガから見た”命”のお話しでした。


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